f

建築の周縁でうろうろしてる人

 

メモ

 

これから社会における建築家の立ち位置が見えてくるような気がする。前川国男丹下健三、清家清、黒川紀章などなど豪華な面々。

 

表紙は愛知万博モリゾーとキッコロというキャラクターだったことも印象的。

 

現在の錆びたグローバルループと、廃れれば廃れるほど価値を増してゆくサツキとメイの家の関係は皮肉さがある(そもそも、サツキとメイの家は最初からエイジングがほどこされていた)。

 

お祭り広場と愛知万博の広場(名前なんだっけ)

 

徒歩圏内で愛知万博がやってたにも関わらず、フリーパスを買ったにも関わらず、3回くらいしか行く事はなく、ほとんと記憶に残ってないということ。これは自分の記憶力の悪さか、それとも田舎の中学生すらワクワクさせることができない世界しかつくれなかったということか。

 

 

 

[https://twitter.com/hukukozy/status/530023057679585280:embed#[【Uber】地球で一番かっこいいタクシーの停め方【最高】] http://t.co/SkwDB6ylzL]

世界が知らない内に変わっていたら嫌なので、とりあえずアンテナは貼っておく

 

おもしろいのは、紙媒体と電子媒体の読み方の違い。なんとなく電子媒体で読む方がテキストを熟読することが少ないのかと思っていたら、実はその逆だった。電子媒体で読むと紙媒体のように飛ばし読みが出来ないので順々に読む、さらにしおりなどのどこまで読んだかというのが事細かくつけれるし、もっと進化すれば分からないキーワードのとこに何かしらのリンクを貼っておけば、後に読むときにも助けになる。考えてみれば、電子媒体で読むことにはかなりの利点がある。ここで、紙媒体で読むということがどういうことなのかを考えなければいけないときがくるのだろう。新しいメディアの形が出てきたことで、旧メディアの形式が逆照射され、その存在意義を問われるときがきっとそのうちやってくる。

出版業にしても、様々な業界にまたがることはあるので、その業界御用達のメディアは既得権益で何のチャレンジもしていないということ多々見られる。

キュレーションメディアは様々な方向を模索しているし、webメディアは雑誌並みのクオリティを目指しているとのことだ。バイラルメディアなどの問題はあるが、webメディアの過渡期的な流れだと思う。現在の旧来型のメディアが持つ強みとは一体なんなのだろうか。webメディアが雑誌並みのクオリティを持つことになったとき、その問いが必ず出てくるだろう。

 

カフカの発言見てるとなんだか元気出てきて、「いいじゃないか後ろ向きでも」と思うけど、カフカは生きている間には小説はまったく売れずに、死んでから燃やしてくれと頼んでおいた原稿を友人のマックス・ブロートに勝手に世に出されて、名が知れるようになったって考えると、すげー運無い人だなぁと。でも、その後ろ向きのパワーが後世の人にまで影響を与えるような作品を生み出したと考えると、前向きだけなのもねと思う。まあ、ならざるを得なかったんだろうけど。

 

『渇き。』観てすぐは、あんまり来てなかったけどじわじわ後から来た。でも、面白い映画だけど好きな映画ではない。ドラッグムービー的なハイテンションな感覚が好きじゃないだけかもしれんが。今思えば、あの映画で一番まともだったのは役所広司だけだったと思う。くずではあったけど。一番人間らしい人間だ。娘を追い求める「渇き」を表現しようとしたあの映画のラストは結構好きだった。

 

 

黒沢清が扱うのは徹底的に「他者」のように思える。